大場さんの工房を見学してきました〜漆かき編〜


 

お邪魔した日:2011年10月4日

お邪魔した人:狐崎ゆうこ

写真と解説:狐崎ゆうこ

 

 


大場さんの仕事場  狐崎ゆうこ(2011年10月4日)


 大場さんの仕事場は山の中だった。

 

 松本の、住宅地のすぐ横にうるし山がある。地主さんが漆の木を7千本も植えたという場所だ。

大場さんはここで15年近く漆を採っている。(※1)

 

 約束の8時、待ち合わせ場所にいた彼はすっかり「正装」だった。頭は帽子とタオルで被い、漆でごわごわの腕貫と前掛けをつけ、足は地下足袋。腰には見慣れぬ道具を下げ、小さめのアルミのはしごを抱えている。よくわからないがなんだか本格的だ。のんきな見物人気分をちょっと反省。

 

 目的地はすぐにわかった。黒い筋がたくさんついた木が7~8本並んでいる。漆の木だ。よく見るとこれだけではない、他の細い木も、横のひょろっとしたのも、まわりはみんな漆。やっぱり触るとかぶれるのかな。

 

 そんな心配をよそに、さっそく作業開始。専用の鎌で木の皮を軽く削り、幹に水平にキズをつけ、染み出た漆を掻き採る。漆は薄茶色の生クリームという感じ。採った漆は小さじ一杯くらいなので、液体というよりねっとりしたかたまりにみえる。大場さんは手早く漆を腰の入れ物にこすり付け、更に、はしごをかけて先端に足をかけて幹にしがみつき、淡々と道具を振るう。はしごから落ちたこともあるそうだ。危ないなあ。

 

 木はキズだらけだ。黒いしましまが上から下まで、表も裏もびっしり。簡単にやっているようだが、キズ同士の間隔、キズの深さ、長さには意味がある。樹液の流れ道を作らないと木が弱って枯れてしまうのだ。一回一本につきキズは8ヶ所くらいまで。木を休ませるため作業は4~5日置き。一番良く採れる早朝に行なう。また、夏は下草刈りをして山を整備しなければならない。作物を大切に育てつつ、実りを得るところは農業のようだ。

 

 漆掻きのシーズンは6~10月。11月には木はキズでいっぱいになり、もう漆は採れない。何年か休ませて再生させることもあるが、切り倒すことが多い。(※2)切っては植える、十数年周期の農業なのだ。

 

 さて、本日の仕事は、少しずつ移動しながら20本くらいやって終了。時刻は10時半。取れた漆はごみを漉して精製という作業を経て塗料になる。今日の成果は50ccくらいかな。お椀の上塗り5個分くらい。えっ、たった5個?

 

 当然、ここで採れた漆だけでは量はまったく足りない。中国産の漆も使っている。(※3)しかし、この地道な作業を繰り返していると、漆の貴重さを実感する。漆は、木を切り倒して粉々にして絞ってもそんなに多く採れるわけではない。人間の都合に左右されず素材に忠実に作品を作る、それを忘れないためにも、漆掻きは大場さんにとって、なくてはならない仕事なのだろう。


大場さんからのもっとくわしい説明

※1 松本市中山のうるし畑。各地に分かれ、この日の場所は住宅地の上に広がっています。

中山の地主が昭和54年から63年に賭けて約7千本の植林を行い、現在500本採取可能です。

※2 11月に入ると気温も下がり、うるしの出も悪く、粘り気を増すため、木を倒してから掻く「止め掻き」に入ります。2~3年おきに掻く「養生掻き(ようじょうがき)」もありますが、現在ほとんど行なわれていません。

※3 私は盛夏、漆の精製(なやし、くろめ)を一日かけて行い、上塗りうるしにしています。地産地消の最適のうるしです。下地には中国産うるしを使っています。中国産の中にも日本産に負けないだけの質のうるしがあります。

 

 

 

 

 


大場さんの工房〜工房編〜

 

お邪魔した日:2012年7月13日

お邪魔した人:飯島正章、狐崎ゆうこ、花塚光弘、前田大作

 

 

 

 


 


大場さんの工房 前田大作 記


大場さんの工房は、市街地と田園地帯の境目あたり
松本平をみわたす丘の上の住宅地に佇んでいます。

2台分用意された建物前の駐車スペースから
蔵のようにしつらえられたギャラリーへと敷石を辿ると
大きな引き戸に目を奪われました。

南部鉄の引き手。漆塗りのケヤキ戸。
塗り壁に引き立てられるようなその風情。
耳慣れない「漆部(うるしべ)」という言葉は
この戸をはじめ室内の床、天井、柱にいたるまで
すべて漆をぬってあるという大場さんの姿勢によって
その意味が理解できました。

ギャラリーの中では吟味された調度品に
大場さんの作品が花をいけてあるかのように陳列されています。
入り口の反対側に鎮座している
奥行きの深い押し入れ簞笥は桐材の骨董で、
その枯れた色の上に漆黒や朱の椀が並んでいる様は
工房に併設されたギャラリーという域を超えた印象。
作品をみながらの質問に、大場さんは丁寧に、
そして漆の下に仕込まれた技と思想を紐解くように答えてくださるので
居住まいを正しながらそれを聞くというのもまた
独特の感覚でした。

「今の時代に生きる形を求めています」とおっしゃる大場さんの作品。
とても頑なに伝統的な手法や素材を大切にしながらも
シンプルに、あるときは大胆に、
丈夫で美しい道具であることを求めていらっしゃるように思います。

それは当たり前のようだけれど、
とかく形状やスタイルにオリジナリティを映そうとなりがちな制作において
(少なくとも僕には)とても大事な哲学でもあるような気がします。

漆器は、良い材をみつけ、よい木地に仕立て、よい漆を塗る事で
使い込んだ数十年後に味わいがまるでかわってくる。
初見の見目だけではなく
丈夫で長くつかわれる器であるために、漆の下に隠れてしまうそれらの要素にも細心の注意と愛情を注がないと成功しないのだということを
教えていただいたように感じました。

ギャラリーから工房に移ると
そこは小さな部屋でもっぱら漆をぬる場所。
まるで勉強部屋のような佇まいです。
「漆というのはそもそも分業だから」と
木地をつくることは滅多にしないという大場さん。
この仕組みも、良い道具を作るために守っていらっしゃるのだなと
ついつい何でもしてしまいがちな僕には印象に残ります。

漆はご自身でかいて、精製してつかっていらっしゃるのは酒井さんと同じ。
蒔絵をなさっていた酒井さんの所では色とりどりの貝やネズミの毛の筆を
みせていただいて感動しましたが、大場さんの所では布着せにつかうという
麻布をみて、その絹のような輝きに驚きました。

輪島での修業時代から使っているという小刀は産地独特の形で、
これじゃなくちゃだめなんだよとヘラをあっという間に作ってみせてくださいました。思い入れのある道具は、この小刀とのこと。

ひとしきり見学が終わったころに
大場さんの工房のあちこちにさりげなくおかれている古い民芸品が気になり
飾り気のない実用の道具であっても、どこからか匂いたつような
力強い美があるように思ってみていると
「名もない作り手にも、美が身に付いていたんでしょうね。時代じゃないかな。」
大場さんはこのようにおっしゃいました。

「私もそういう格好よいものを作りたいんです。」
厳格な制作をしながらも、手で触れるのがためらわれるような漆器ではなく、
思わず手に取ってみたくなるような、
とても健康的な美が作品に宿っているように思えるのは、
やっぱり物としての機能を徹底的に追及する姿勢が
作り手には厳しくても、使う方には優しい愛情となって
込められているからなのだろうな、と感じます。

匠たち展に参加するなかで気になる作家は、
若い人には頑張ってもらいたいといことで、最年少の僕。
なんだかすごく焦りがあります。
実は僕には、大場さんに4年前の木の匠たち展でかけていただいた、
忘れられない言葉があります。
「つらくても、正しい姿勢じゃないと長続きしない。頑張ってください。」
いつの日か激励に応えられるように、
日々を過ごさなくてはいけないと思っています。