家具|村上 富朗


murakami Tomiro

2006|2008|2010 出展

2012年 特別出展

 

 

1949年長野県生まれ。

1964年より実家の木工業に従事。

75年から数年おきに渡米し、ニューヨークのキャビネットメーカーで家具を制作。

2003年、現代の木工家具展(東京国立近代美術館工芸館)に出品。

 

 

村上さんは2011年夏、多くの木工家に惜しまれつつ永眠されました。

木の匠たち展には初回から参加され、いま尚私たちの心に強い印象を遺されています。

 

 


 

 

村上さんとは「木の匠たち展」で初めてお会いした。
木工会の巨人ということで実際も大きい人だと勝手に思いこんでいたが、思いの
ほか小柄なかただったので意外だった。

お酒が好きなようで、ホテルに泊まると一晩で酒瓶が溜まってしまうので、

「ルームサービスが来ないと大変なことになっちゃうんだよ」と笑っていた。

また、仕事の後のお酒が楽しみのようで、昼食のとき以外は休憩も取らず集中
して仕事をやってしまうそうだ。
「飲みながらやるということはないのですか?」と聞くと、それはないとおっしゃっ
ていた。職人はけじめが大切なのだろう。
でもよく聞くと昼食のときにビールは飲むそうだ。
「ビールは酒じゃないから♪」飲んでも良いらしい。

そんな他愛のない話の断片が何度も思い返される。
ご自分の技術には確固たるもの持ちながら、気さくで飾らないお人柄
を尊敬していました。
ご冥福を祈ります。

飯島正章

 

 

 


 

 

村上さんの工房

昨年夏、10数名の木工屋が村上さんの工房に集合した。
雑草の生えた小道を進むと、鬱蒼と茂る樹の下に少し古びた木造の建物、その前にいるのは森の小人・・・ではなかった、村上さんだ。

村上さんの作るウインザーという種類の椅子には、背もたれや肘掛に曲げ木がよく使われる。今日は、曲げ木の様子を見学させてもらうのだ。
12畳くらい(たぶん)の仕事場の隅には、1メートル以上の細長い鍋が置かれている。鍋は火にかけられ、角材や板が煮立っている。見学者たちは彼を取り囲み、カメラを構える。暑苦しいぞ!
さて早速作業開始。材料を熱湯から取り出すと、素早くチェーンブロックで力まかせに型に巻きつけていく。けっこう原始的なのである。村上さんは質問にていねいに答えながらも手を止めることはない。冷めてしまうとうまく曲がらない。10本くらい曲げていくが、割れるものもある。
「ここにまだすき間が・・・」
「ああここ、当たってますよ」
そのうち見学者が口を出しはじめた。いや、手も出している。ある者は玄翁を持ち、別の者はチェーンを巻き取り、クランプを手渡し、いつしか半数以上が力を合わせて木を曲げていたのだ。私も何かしたかったが、さすがに全員分の仕事はなく、見てるだけ。見ているだけでも疲れてしまうような充実した時間だった。とはいえ村上さん、こんなに大勢が群がっていて、邪魔じゃなかったですか?

 隣の部屋には、うちのに比べると小さくて古そうな機械が並んでいる。こちらの壁一面には鋸とかんな。長年手になじんだ道具を使い続ける頑固な職人タイプか?いや、その穏やかな物腰には偉そうなところは全くない。近所のおじさんみたい。そしてその仕事ぶりは、周囲の人たちを巻き込み、燃え立たせるほど力強い。
 村上さんの工房は、とても熱かった。


2011.7.31

狐崎

 

 

 


 

 

椅子を作り始める動機は人それぞれである。
家具のセットとして。
木工のバリエーションとして。
そして「椅子を作りたい」として。
村上さんはこれだった。
木工を始めた当初、私も椅子を作りたいと思った。
しかしながら「椅子はじっくり腰を据えて、心して作らねば」と身構えてしまっ
た。
その結果今だに作れていない。
村上さんとは「木の匠たち」展で初めて出合った。
いともたやすくヒョイヒョイと椅子を作っている様に私には見えた。
数もそうだし人柄もそうだからだろう。
だがなんと言っても携わった年月と熱意が全てである。
ここが私が今だに作れていない最大の理由なのだろう。
ウィンザーチェアーをベースにしたとは言え、村上ワールドは確実に存在した。
この手の椅子を購入したい人は今後どうしたらいいのだろうか。
失ってより強く感じる無念さである。

 

土岐千尋

 

 

 



「木の匠たち」展で初めてお会いして
誰にでも 笑顔で話しかけてくれた。
僕の思い出す村上さんは いつも笑った顔。
特にお酒の場は とても楽しそうだった。
その場の雰囲気を いつも和やかにしてくれて
みんなを楽しませてくれた。

話ベタな僕にも いつも声をかけてくれた。
もっと話してみたかったこと。
もっと聞いてみたかったこと。

村上さん 楽しい時間をありがとうございました。


花塚 光弘


 

 

2010年9月某日、木の匠たち展2010の懇親会の会場。

 

数日前に再会して展覧会をスタートさせ、

会期も無事に中日を過ぎ、一息ついて親しみも増し、宴もたけなわの、23時ごろ。

村上さん、土岐さんを中心に思いがけず熱い「トーク」がはじまる。

人生においても木工においても大先輩の「匠たち」は

こんなにも情熱にあふれているのかと思い知らされた。

村上さんの訃報にふれ、

あの時、胸に秘めた決意が不意になり

僕には少し苦い思いが混じる大切な思い出となった。

 

村上さんは建具屋さんの家に生まれながら椅子を愛し、椅子と生きた。

僕は椅子以外の村上さんの作品をおよそ存じ上げない。

数度、お話をした程度。グループ展で2回ご一緒しただけの僕には

村上さんを語る事などできないが

展覧会の会場に人気がなくなったころ

座り込んで村上さんの椅子を拝見していた時に感じた事。

…村上さんの技は、同じ木工とはいえども

僕の学ぶ技術とは全く異なる仕事だった。

お前が作るべきはなんだ。

そうやって、村上さんの椅子は僕に語っていたようだった。

 

その時から僕が継いでいる指物とはなんだろうと、そればかり考えている。

自分の道を見つめるというシンプルな気持ちを

ドスンと置き土産にして頂いたのだ。ありがたい事だ。

 

いつか再会したときに「大作君といえば箪笥だね。」と言われたい。

箪笥といえば大作君、ではない方がいい。

椅子を生涯追求し続けた村上さんに

あの笑顔でそう評価されたら、泣いちゃうなあ、と思っています。

 

 

前田大作